三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

「創」篠田博之の詭弁

「表現の不自由展・その後」中止事件と「天皇の写真を燃やした」という誤解
https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20190808-00137629/

 

「え、誤解だったの?」と記事を読んでみたら、以下のようにあった。

その動画で天皇の写真を燃やしていた事実はない。燃やしていたのは大浦(信行)さんの作品で、そこに確かに昭和天皇もコラージュされているのだが、「天皇の写真を燃やした」というのとは意味合いが違う。

 あのさあ。「天皇の写真を素材にした作品を燃やした」というのは、「天皇の写真を燃やした」ということでしょう? それも、例えば新聞や雑誌をまとめて焼却するんじゃなく、天皇写真の部分に観客の注目が集中するようにして、燃やしていったわけで、それを「誤解」とは強弁にもほどがある。ためにする詭弁としか思えない。

 仮に大浦信行の主張がそうだったとしても、美術監督の金髪デブと師匠の東浩紀の対談動画で、物議を醸すための確信犯的展示であると白状してるわけでさ、「天皇の写真を燃やした」と観客にアピールするための展示であることは明白だろうが。

 篠田はこの記事内で、「芸術作品を政治的文脈で矮小化」とも書いているが、美術監督がまさにそれをやっているわけで、そこを批判されるのは当然だろう。

 で、こういう詭弁を並べ立てていると、パンピーはどう思うだろうか?
「現代美術という、よく分からないものに天皇に対する侮辱や、反日プロパガンダが仕込まれていて、アートという建前で一般人からの批判をブロックしようとしている」

と、取るだろう。そして、そのような「アート」に国や自治体が金を出すなんてとんでもない、と考える。そんなイヴェントはやめちまえ、と。その結果、プロパガンダとは無縁の、大多数のアーティストが、作品発表の場を失うことになる。その可能性まで考えての詭弁なのか?