三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

「本当の戦争の話をしよう」(文春文庫)

著:ティム・オブライエン 訳:村上春樹
ベトナム戦争読書4冊目。1946年生まれのベビーブーマー世代で、徴兵され、陸軍歩兵としてベトナム戦争を体験した作家の短編集。
すばらしかった。感動した。テーマがベトナム戦争、あるいは「戦争」だったからじゃない。知的で誠実でナイーブな「団塊世代アメリカ人が、それまでの人生とはまるっきり隔絶したアジアの「泥沼」に放り込まれ、そこでで何を感じ、何を考えたかが、知的で誠実でナイーブに語られている。
戦争に「死」は付き物で、著者も数多くの死を身近に見ている。敵の狙撃や地雷でたちまち「死体」に変わる戦友。ナパームで焼き殺されたベトナム人の女こども。その死に「意味」を見い出すことは難しい。そこで著者は、自分が9歳の時の同級生の少女が脳腫瘍で死に、その死に立ち会った体験を対置する。「作家」の最良の仕事は、死んでいった人間たちを小説で描くことにより、彼らの生と死に「意味」を与えること。そうして彼らを甦らせることなのだ、と。
実に良く分かり、感動的なのだが、同時に著者の「ナイーブさ」がちと辛く感じられる。「鈍臭さ」と同意なのだが。一番分かりやすいポイントを指摘すれば、この短編集における「アメリカ人の死者」はすべて固有名詞で語られるが、「ベトナム人の死者」に固有名詞は無い。著者自身が手榴弾で殺した「若いベトコン」について、著者は彼の人生をさまざまに想像し、細かく描写しているが、彼の名前は語られない。そこまでは著者の興味関心が及ばないのであろう。真に「知的で誠実」であれば至らざるを得ないだろうが、「ナイーブさ」が邪魔をする。
だが、著者にとっては、その「ナイーブさ」こそが精神的健康を維持するために必要だったのだろう。他の兵士達にとっての「粗暴さ」やドラッグの代替品として。
前にも書いた通り、春樹たんは、長編小説作家としては致命的な何かが欠落しているが、こういうジャンルではとても良い仕事をする。

本当の戦争の話をしよう (文春文庫)

本当の戦争の話をしよう (文春文庫)