三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

「おたく」の精神史

大塚英志「『おたく』の精神史 一九八〇年代論」講談社現代新書 を読了。
ショッキングな犯罪や事件に託して、自分自身の心情(あるいはルサンチマン)を語り、それでもって時代を語ったことにする、というのはもはや通用しない手口だと分かった。
大塚のルサンチマンは、私レベルじゃ「おたく」元祖としての自負、公レベルじゃ戦後民主主義だろ。どちらも今さらどうでもいい。岡田有希子から宮崎勤まで、勝手に背負い込んで深刻ぶってんぢゃねーよ、というのが正直な感想。「諸君が愛したユッコは死んだ、なぜだ?」「嬢ちゃんだからさ」で十分説明可能なのに、なぜ「身体なきアイドル」なんて小難しい概念を持ち込む? 夭折への共感としての後追い自殺など、昔っからいくらでも例があっただろうに。
宮崎勤は例外的なキチガイだった。それは大塚自身が一番よく分かっているはずなのに、「おたくの犯罪」として世代的に背負い込もうとする。大久保清帝銀事件津山三十人殺しも同様の世代的普遍化は可能だろう。でも、それにどれだけの意味がある?
戦後民主主義が「物語」であると分かっているなら、民主主義も同様ではないかと気づいて欲しい。ファシズムを憎むなら、その最も激烈な変異種が、ワイマール体制という「戦後民主主義」から生まれたという歴史も学んで欲しい。