三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

靖国神社

 自分にとっての「転機」は1999年10月だった。その日の日記を転載しておこう。

 午後、ふと思い立って靖国神社へ行く。会社から徒歩15分ほどのご近所なのだが、1度しか足を踏み入れたことがない。花見で一回だけだ。えらく寒い花見だったということだけ覚えている。その花見の時も、大村益次郎のエリアで、そっから先には一度も入ったことが無かった。

 九段の坂を登って行く。車で靖国通りを走ればあっと言う間だが、歩くとけっこう長い坂だ。そして神社は巨大だ。敷地内に入ってから本殿までの距離が長い。本殿に参拝し、白い鳩の群れを見て、遊就館に入る。拝観料500円。粛然とした気持ちにさせられる展示内容だった。桜花や回天など特攻兵器の実物展示よりも、明治以来の戦死者の写真や手紙に感動を覚えた。

 戦死者の名前には「山田太郎命」というように必ず「命」がついている意味が、最初は分からなかった。「ミコト」とルビが振られたものを見て、「神なのだ」と気がついた。広瀬中佐や爆弾三勇士のように、これが言うところの「軍神」というものか、と。

 その時点でも自分は全然分かっていなかった。戦史に残る武勲をあげたものも、なんの勲も無しに死んでいったものも、すべて「命」であり、「神」なのだ。歴戦の将軍の遺品が展示された隣に、18歳で特攻死した少年航空兵が無邪気に笑っている写真がある。軍歴も階級も無関係に、国のために戦って死んだものはすべて等しく「神」なのだ。女性の「神」もいた。戦病死した従軍看護婦や、ソ連侵攻直前のサハリンで自決した電話交換手だ。写真はもちろん、名前すら記録されていない戦死者も「神」としてここに祭られているのだろう。

 こここそが日本の「無名戦士の墓」に他ならない。「A級戦犯が合祀されているから」云々の議論が、いかに下らないか実感した。半世紀以前の「時の勝者」が勝利におごって行った断罪に基づき、ここにまします「神」を分類せよと言うのか。…てなことまで考えるほど、実に自分は圧倒されたのだと思う。

 ここで自分が感じた粛然たる心境が、戦地に赴いていった兵士の心境に通じているように思う。それは「国のために自らの生命を投げ出すとは、いかなる行為なのか」を自分自身に深く問い掛けるものである。靖国神社が、そうした「覚悟」を醸成するための巨大な装置だとしたら、その「機能」に感嘆せざるをえない。

 「命」は生命であると同時に「ミコト」=「神」である、という思想も新鮮だった。生命は一人が一つしかもっていない。ゆえにかけがえのない大切なものなのだが、だからこそ、それが「国」という大義に捧げられ、無にされたとき、「神」になる。ある戦争は、戦士の背後の多くの生命を護り慈しむための戦いであるがゆえに、そこで戦って死んだ戦士の生命は無に帰するのではなく、崇高な神としてまつられる、と言えば、より「戦後民主主義的」か。

 読み返してみても、「思い」には何の変わりもない。