三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

切り捨てる判断

 自分の場合「嫌われる勇気」じゃなく「切り捨てる判断」だと思う。世の中のあれやこれやのうち、自分に害なすものはもちろん、人生の時間を無駄に消費させるもの、関係して利益など耳糞ほども得られないもの、総じて「損」をすべて切り捨てる。それが肝要。人間関係…は、あれこれ複雑だから棚に上げて、モノとの関係はまさにそう。要らん物は無料でも要らんし、金貰っても要らん。まずはそこからだな。今現在たまたま持ってるものの中にも「実は要らん」が相当数ある。気がついた順に捨てていく。

 情報については「真偽」の見極めが肝要。いや「真善美」として「真偽」「善悪」「美醜」の見極めとしとこう。アカラサマな「醜悪偽」は分かるだろう。問題は「善なる偽」や「美なる悪」だ。思想としては共産主義国粋主義? 「皆が等しく幸せになれるという大嘘」「澄んだ目の若きテロリスト」、その他あれこれ。いや、恐ろしい。

 身も蓋もない「真」をこそ、たとえ「悪」であり「醜」であっても、それを認め、受け入れるべし。受け入れた上で、自分自身の実存に照らして「何をすべきか」「すべきじゃないか」を判断する。

 で、あえて「損得」をモノサシとする。金銭的損得。心身的損得。評判的損得。その他あれこれ。金銭が一番分かりやすい。「得して得して得取る」が原則。心身はちと難しい。飽食暴飲は健康を損なうし、ストレスは寿命を削る。評判は、棚上げ(笑) ならば、身体鍛えてるスクルー爺が正解。

 そう思えるのは、自分が生きている現在日本が、すでにそこそこちゃんと出来上がってる「地獄」だからだ。強者である鬼と言えども、弱者である亡者を無制限に虐めるのは許されない。殺すのはもちろん、傷つけても奪っても犯しても罰せられる。せいぜい、ブラック会社の経営者として、社員を搾取しまくるくらいが「できる」こと。

 その現在日本でマットウに税金納めて生きてる、という時点で「及第」だ。それ以上のことは、やりたきゃやればいいし、やんなくても無問題。「恵まれない人々のために」と称する募金に、1円たりとも投じなくとも、何の負い目も感じる必要はない。

 さらに「合法」に節税するのもオケー。パンピーが訳も分からず「皆がそうしているからやってる」ことを無視するのもオケーオケー。そんなパンピーをワンチャン「食い物」にできたら…それはやらない。それこそがモラル。具体的には何だろう? 「落ちてる金は拾わない」だな。帯封であろうとも。でも「総悲観」で鬼下がってる投信は買う。株は…棚上げ(笑)

 パヨウヨ問わず「耳に心地よい言説」にはご用心。「真偽」を見極めたい。パヨ系には多分大丈夫。アベガー、スガガー、改憲阻止、五輪中止、すべてが「偽」。ウヨ系は難しい。特に支那関係。「ウイグルのジェノサイド」の「真偽」。モノホンの「ジェノサイド」じゃないだろう、とまでは分かる。その先は?