三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

「正直者が馬鹿をみる」で十分

 十字教や新月教など宗教がモラルのバックボーンになってる社会じゃ、信仰のゆらぎこそがモラル崩壊につながる。

 日本も実は同じこと。日本人の多くは「仏教です」「神道です」と適当に言うか「無神論です」と無知をさらけだす。ちなみに欧米その他多くの国じゃ「無神論」は「共産主義」の別名だ。かつてのナチも「無神論」だった。

 日本人の宗教は「人間教」。人間こそが絶対不可侵の価値で、信仰対象。だから「人の命は地球より重い」なんて真顔で言えるし、「人でなし」と呼ばれるのが最悪のマイナス評価だったりする。「お前ら人間じゃねえ」と断言された次の瞬間、桃太郎侍※に斬殺される。(※訂正。「破れ傘刀舟」でした)

 その信仰を破壊するのは簡単なこと。「正直者が馬鹿をみる」で十分。法律や規制に馬鹿正直に従った太郎さんは、お金に困って破産。それでも残った闇金の借金を返済するために、限りなく自殺に等しい事故死を遂げました。規制に従わずに自由に商売を展開した次郎さんは、大儲けしてお城のような家を建て、我が世の春を満喫しました、と。

 十字教なら太郎は死後天国、次郎は地獄に行くことにより、バランスがとれる。仏教やヒンドゥー教なら、太郎は極楽往生バラモンに転生。次郎は地獄か畜生道、餓鬼道へ。バランス! でも、人間教には現世のみ。つか、天国も地獄もともに現世にあって、正直太郎は地獄に沈み、勝手次郎は天国ライフ。

「正直者が馬鹿をみる」で「人間教」はもろくも崩壊。モラルは雲散霧消する。それが「今ここ」。