三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

根拠なき規制こそが「モラル」を破壊する

 最初の「三密回避」はそれなりに説得力があった。「密集、密接近、密閉」の「集近閉」を避けましょう、と。その恐れがある建物内などではマスクをして会話は控えましょう、と。

 そのマスクが独り歩きを始めた。建物内だけじゃなく、戸外でも。複数の人間がいる場所じゃなくても、常時マスクを着用せよ、と。誰もいない田舎の一本道をとぼとぼ歩いてるお婆さんがマスクをしてたり、1人で軽トラを運転しているお爺さんがマスクをしてたり。一体、何から何を防ぐためのマスクなのか?

 次に「三密」がどっかに行ってしまった。集近閉が発生する可能性があるジムやプールのみならず、オープンスペースの公園やグラウンドも閉鎖された。ジョギングするランナー同士がすれ違う際にも「感染可能性」がある、だからマスクして走れ、と「感染症学者」がのたまわった。

 学校の体育や部活でマスクをさせられたこどもが酸欠で倒れたりしたよね? マスクしての持久走で死んだ子さえいた。誰がどう責任を取ったんだろう? 感染症学者は腹を切ったのか? 切るわけないよねえ。

 次に「飲食」。「おねいちゃんやホストが密着して接待する夜のお店」が感染クラスターになり得る、というのはそれなりに説得力があった。そういうお店が大好きだった志村けんが死んだり、「プロ」も含めてファンの女性たちと会食するのが大好きな、石田純一や関西方面のプロ野球選手が感染したり。

 これもしかし、たちまち暴走した。接待の有無を問わず、飲食店は夜9時閉店で酒の提供は8時まで、と。グローバル・ダイニングのように、根拠なき営業規制に抗議した店もあったが、大多数の飲食店はすなおに従った。今から思えば、それこそが大間違いだった。

 飲食店への規制は、大多数がすなおに従うし、「結果」はパンピーの目に付くし、為政者が「対策してる感」を演出するのに都合がいい。規制は恣意的に延長され、拡大され、ついには「酒類の終日提供禁止」とまで相成った。現在日本に蘇った「禁酒法」。一言で言えば「食文化の破壊」ですよ。

 6月21日からは「緊急事態宣言」→「まん延防止」となるが、飲食店には「酒の提供は7時まで」となおも「イジメ」に等しい営業規制が継続する。何の科学的根拠も、エビデンスも示されぬまま、為政者のパフォーマンスとして。

 もう従わんでしょ。少なからぬ店が、昼から酒を出して(赤羽!)、夜遅くまで営業するだろうし、都庁の役人が取り締まりにきたら、他ならぬ客が激怒して、袋叩きにされるかもしれない。つか、自分が役人の立場だったら、取り締まりになんて行けませんよ。電話一本で「お願い」してお茶を濁すか、そもそも何もしないか。

 自分が飲食店経営者だったら、「お上」の指導には従わない。お店を開けて酒を出せば、お客さんが喜んでくれるし、何よりもお金が儲かります。馬鹿正直に「規制」に従うお店は、勝手にどうぞ。損してちょ。日本人の「美徳」だった「横並び」の村意識はゴミ箱行き。モラル? 何それ美味しいの、状態。

 これはさ、もう今回のことだけじゃない。「すなおに従ったら大損」と分かってしまったから。近い将来に、武漢肺炎なんざ足下にも及ばないほどの、とてつもないモノホンの「疫病」が大流行するかもしれない。武漢肺炎は「高齢者リスク」が高かったが、かつてのスペイン風邪みたいに、若い連中からバタバタ死ぬような感染症が。その時にも「とりあえずは従わない」がデフォ。

 人死が出ようとも、自分が死なない限りは関係ない。生きてる限りは稼ぐが正義。店は絶対に閉めないし、どこにだって行きたいところに行く。為政者がロックダウンを強制しても従わない。止められるもんなら止めてみな。官憲の権力には暴動で対抗する。

 結果、感染症対策が遅れて、何万、何十万もの人間が死ぬかもしれない。暴動による死傷者はさらに多数かも。

 その「種」が蒔かれているのは「今ここ」。モラルを破壊したのは、根拠なき規制。