三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

「嫌われる勇気」?

「嫌われる勇気」ってアドラー心理学だったんだ。どういうことだっけ? 他人の評価は気にせずに、自分の目的を目指しなさい、だっけ。何をいまさら、と思うのは、自分は自己肯定感が高くて…つか、高いも低いもなく、自分自身を肯定するのは当然だと思ってるから…劣等感と無縁だから。いや、これは日本人的には少数派らしい。

 自分にとっては「自分を肯定しない」ことは考えられない。そら失敗すれば「しくった」と思うし「馬鹿な俺」と思う。雨の日にチャリ乗って点字ブロックで滑ってこけて右肩負傷するとか。でも、最寄りのせーたい行って、日々リハビリして、回復を目指すというのは、失敗をリカバーするため。それも含めての「自己肯定」。

 ああそうか。「星の王子さま」がアル中の星に行く話があったっけ。「どうしてお酒を飲むの?」と王子様が聞くと、アル中は「忘れたいからさ」と答える。「何を忘れたいの?」と聞くと、「自分がアル中であることを忘れたいのさ」と。これはリアルだ。

 でも「自己否定」人間の大半はアル中じゃない。なんで?って思う。ちゃんと働いて、お金を稼ぎ出して、暮らしてるわけでしょう。よっぽど理想が高くて、それと現実の自分を比較して凹んでるわけでもない。漠然と周囲の人間の評価を気にして、それがけして高くはないらしいから、「自分はダメ」と評価している、のか?

 なんでそうなってしまうのか、自分には理解できない。「ああ、あたし、ダメなんです、劣等なんです、牛のように豚のように殺されていいんです」てな、戸川純含有のマゾヒズムの一種ですか、と思う。…そこまで楽しそうでもないわけだ(笑)

「日本国は日本一!」であるのと同様に、「自分は自分一!」だろうに。違うとしたら、何が「自分よか上」なのよ。神さま? 違うよね。「世間」か。そうか。多分、親の教育が悪かったんだ。二通りで。一つは「おまえは〇〇たるべきだ」と親に厳しく教育され、その〇〇になれなかった自分を否定する。もう一つは「好きにすればー」と放任され、迷子になったところで「世間」に絡め取られる。マザコン男と結婚して「お姑さん」にとか、ブラック会社に就職して「パワハラ上司」にとか。そんで「否定される立場」に自分自身をフィクスする。

 そんな迷路のどん詰まりに「自己実現」しちまったら、ちと難しいのかもね。