三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

昔の話

 思いっきり「昔話」を書いてみたいような気持ちにかられたが、書くべき「昔」など自分にあるのだろうか、とも思う。例えば後藤明生の、今は無き「日帝朝鮮」での、こども時代の暮らしのような。

 そこまで「今は無き」じゃなくても、いろいろあるだろう。ふと思い出したのだが、随分前に観たAVで、女優が自分が生まれ育った土地を訪ねて、そこで体験したあれやこれやを本人の自演で「再現」するというものがあった。で、女優がランドセル背負ったり、セーラー服を着たりするのに、半ズボンや学生服の男優が絡むという、失笑するしかない代物だったのだが、ロケ映像に印象深いものがあった。

 国道バイパスかなんか、新しい道路が建設されて間もないエリアを女優が散策する。手持ちカメラがそれを追う。彼女がこどもの頃、「おばあちゃんと暮らしてた」一角だったのが、区画整理で完全に消滅している。それを茫然と眺めつつ、「ここに駄菓子屋さんがあった」「ここに〇〇ちゃんのアパートがあった」と指差しつつ、熱っぽく語り続ける。

 自分は古い人間だから、「あっさり破壊され、消滅してしまうような地区。おそらくは戦後のドサクサで不法占拠されてた貧困地区で育った少女が、その後、AV女優になっちまったんか」なんてことを、ふと思ってしまう。

 自分が生まれ育った田舎の城下町には、真逆に今なお「すべて」が残っている。中心部の住宅地は、幕藩時代から変わっておらず、地元じゃ「本丸」「二の丸」「外ヶ輪」と言った旧称で呼ばれている。人間も「まだ」残っているが、急速に高齢化、過疎化が進んでいる。無人となった家屋が撤去されて更地になり、町並みが、老婆の歯抜けみたいにガタガタになっているが、それでも町は存続し続けるのであろう。

 それはそれで、無残極まりない風景である。単に消滅するよりも、数倍無残かもしれない。枯れ果てた骸骨が晒されているような。まあ、自分にとってはとうの昔に「どうでもいい」ことなのだがね。…って、「昔話」になりゃせんじゃないか(笑)