三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

「自粛」に意味があったのか?

 政府の緊急事態宣言による「自粛」。飲食店の営業を制限したり、花見の人出を叩いたり、パチンコ屋を閉めさせたり、自粛警察が活動したり。

 武漢肺炎空騒ぎがようやっと収まって、緊急事態宣言が解除された。そこで思うのは、「自粛」による効果が、実際どれだけあったんだろう、という疑問。

 いや、分かるんだ。「皆でがんばって自粛しましょう」と言ってきた人たちは「がんばったかいがあった」と思いたい。実際、心底そう思ってるわけだ。その気持ちは、それはそれで「あり」だと思う。そこに「無駄だったんじゃね?」と無神経に言われたら、殺意を抱くことすらあるかも、とも。

 でも、アカラサマに「無駄な自粛」は確実にあった。児童公園の遊具を「立入禁止」のテープで封鎖したり、荒川河川敷の運動場を閉鎖したりさ。荒川じゃ、がらーんと無人の広大なグラウンドに「新型コロナ感染防止のため閉鎖します」てな掲示が出てるのを見て「何やってんだ馬鹿」と思った。これはもう心底思った。

 自粛警察による圧力甚大だった飲食店にしても、カウンターのみの立ち飲み屋やラーメン屋で、感染可能性がどれだけあったというのか。どこが「3密」なんだよ、と。

 それはしかし、自分がそう感じただけで、実際はすばらしい「自粛」効果があったのかもしれない。それは分からない。だから今後の検証が必要なんだろう、と思う。感染症の「専門家」による検証が。で、「効果があった自粛」と「無駄だった自粛」をキッチリ分別してほしい。確実に来るであろう「第2波」に備えて。

「1密でも安全ではない」と抜かした、兵庫医科大の竹末芳生あたりが、率先して検証責任を果たすべきだと思うのだが、どうでしょうか、先生?

 検証がなされないまま、次回の「緊急事態宣言」となったなら、日本国民は、「効果がある自粛」も含めて、あらゆる「自粛」を放棄するかもよ。「また無駄なことさせんのかよ」と思われた時点で、宣言そのものが無意味になるぞ。

 ああそうだ。「緊急事態宣言」が解除されても、高齢者(特に+持病)のシルバー・ロックダウンは継続すべきでしょう。もちろん自己責任で。宣言解除によって、感染可能性は確実に増大する。で、0.1%以下の感染可能性であっても、それが重症化→死亡リスクなら無視できない。万金にも代えられない、たった一つの自分の命。その命を守れるのは自分だけだぞ。