三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

晩年

 勢古浩爾が書いていた。定年から死ぬまでにン千万必要などというのは意味がない。日々の暮らしの一日一日こそが重要なのだ、と。

 その一日一日をおろそかに生きていたら、やがて「晩年」それ自体が虚しくなってしまったことに気づくだろう。大切なのは常に今現在。今日という日なのだ。

 今日現在を起点として、来し方を振り返り、行く末を見極める。その日々の積み重ねをもって「晩年」としたいものである。若い頃にはできなかったことであり、それが新たに可能になったことこそが、「年の功」なのだ。誰に対してではなく、自分自身に対して。

 他人と群れるのではなく、孤独孤高の「独立者」として。それが可能ならば、恐れるものは何もない。