三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

津原泰水と見城徹、つづき

 見城徹津原泰水の初版と実売の「数字」を明らかにしたことに対して、「多くの作家」が反発を表明しているらしい。「幻冬舎への執筆拒否」声明まで出ている、とのこと。この流れについて、ちょっと考察してみたい。

 昨日書いた通り、初版部数や実売数の「数字」は「個人情報」ではなく、パブリックなものである。出版社は営利事業で本は「商品」である以上、「その本がどれだけ売れるだろう?」という予測を事前に立てることが必須で、著者が過去に出した本の「数字」は重要な判断材料である。

 そう言うと「そうやって売れる作家だけ大事にして、売れない作家は切り捨てるのだろう」と僻み半分恨み半分で曰う「著者」もいるかもしれない。そういう側面も確かにある。でも、それだけじゃない。「売れない作家」たちの中には、明日の「売れる作家」が確実に存在する。それを見出して「売る」のが出版という仕事のおもしろさだ。

 また、「売れない」と言っても程度は様々だ。著者本人と親族知人しか買わない、というケースもある。商業出版はそもそも無理筋なわけで、どうしても本を出したいなら「自費出版」でどうぞ、ということになる。最近ならamazonのダイレクトなんちゃらもあるだろう。

 コアな読者が数千人レベルで存在する小説家、というケースもある。初版5000部で実売は1000~2000部止まりだが、熱烈に支持する読者が一定数いる著者。今回の津原泰水は、まさにそれだろう。こういう著者と付き合い続け、1冊1冊赤字を重ねつつも、書き続けてもらう。ある日ブレイクするかもしれない。そうすれば「商売」になる。それが無くとも、出し続けた本がすなわち「仕事」として評価される。誰に? うーん、それは文学史的に、とかさ。著者の死後百年くらいして、再評価されるかもしれんし。

 そこらへんに出版というか、編集者の「熱い想い」や「心意気」が盛り込まれるわけですよ。それを見城徹は評価したから、津原泰水の2冊目の出版にもOKを出した。

 と、「ちょっといい話」をしといて、次は「嫌な話」をしよう。「多くの作家」が「数字」暴露と騒ぐのは、「数字」が自分の「著者としての格付け評価」だと思っているからであろう。ミリオン売るのはSクラス、10万部以上売れるのはAクラス、5千部も売れない俺はEクラス? バカにすんじゃねーぞ…なんてことを常日頃から思っていたりすれば、その「数字」を明らかにした見城発言への「反発」も理解できる。いや、「同じ作家」として「著者」として「フジャケンナ!」と憤った、ちうことだろう。

 さらに突っ込むならば、こういう憤りは、ふだんはまず表には出ないわけですよ。だって恥ずかしいじゃん。「数字」を気にしていると思われること自体、恥ずかしい。「著者」の相方の編集者は分かっているから、非常に気を遣う。「ン万部売ってるA先生のほうが、ン千部のB先生より上」なんてことは絶対に言わない。そういう人間関係の中で仕事をしているから、「数字は個人情報」なんていう、世間じゃ通用しない珍妙な「常識」も発生する。

 じゃあ、なんで今回に限って「多数の作家」が反発し、憤りを表明したのか? それは百田尚樹が絡んだ事案だったから、というのが自分の見立て。保守の論客で、安倍ちゃんとも仲良しで、のみならず「ミリオン売ってる」百田に対する、前々からの反感と鬱憤が溜まっていたからこそ、公憤にまぎれて、ふだんは言わないことまで言ってしまった、ということなのでしょう。

 その見立てで「多数の作家」のお名前を確認するのも興味深い。報じられてるところでは、高橋源一郎内田樹万城目学豊崎由美平野啓一郎井上荒野町山智浩春日太一、岡田育、藤井太洋、深緑野分、葉真中顕、太田忠司近藤史恵住野よる喜国雅彦、福田和代。ふむふむ。