三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

散骨

「戒名」うんぬんの話を知人とすると、かなりの確率で「お墓なんていらない」という方向に話が進む。「遺骨はどうする?」と聞くと「散骨してもらう」となるのだが、自分は賛成できない。いや、賛成するには条件が二つある。まず、親兄弟親戚一同の全員を説得し、自分以前に死んだ縁者をどんどん「散骨」していくこと。次に、ゴミ収集日に「燃えるゴミ」として出すことをもって「散骨」とすること。
つまり、墓を否定するなら、中に納める遺骨も否定しろ、ということね。故人との関わりや尊厳を否定して、単なる物体として扱う。物体を捨てるならそれはゴミ以外の何物でもない。ゴミを捨てるなら、きちんとルールに従って捨てましょう、ということ。
実際問題として「故人が愛した土地だから」と手前勝手なセンチメンタリズムでもって、ところかまわず骨灰をまかれたら、たまったもんじゃない。海山にレジャーに行って、あちらこちらに「骨」が落ちていたら嫌だろう。自分ちの近所だったらなおさらでしょうが。