三鷹食堂日記帖

飯食い酒飲み自転車をこぐおやぢの日常。MT車大好き。

畳替え

 築40年近い、嫁さんの実家マンションの和室の畳替えをする。一人暮らしだった義父は昨年夏、老人ホームに移り、実家は空き家となっている。

 義父の昔なじみの内装屋に頼んで、ついでに襖も張り替えることにする。4日かかるとのこと。オケーオケー。さらに開け閉めに「ひっかかり」が出ている部屋のドアの修理も。

 畳を上げると、ほこりっぽく、何やら小便臭いような悪臭がかすかに漂う。マンションちうのは要は「コンクリートの箱」なんだが、内装があり、そこに何十年か人が住むと、汚れやら匂いやらが染みつくのだろう。

 ドアの不調については、マンションの構造体それ自体が経年で歪み、ドアの鉄枠を変形させているとのこと。これまた「そういうもの」なのだな。コンクリートも生きているわけで、キッチリ落ち着くには何十年も時間がかかり、その間に、すでにあちこち崩れ始めているのかもしれない。

 マンションは昔は60年とか言われ、今は100年以上持つとも言われているが、千年万年そびえ立つモノホンの「石造」建築とは比べ物にならない脆さなのだろうと想像がつく。支那の手抜き建築…豆腐ビルとか言われる…は論外だが、程度の差はあれ「本質」は同じなのかも。

 ドア修理完了した11時10分。内装屋を送り出す。自分も撤収する。さて、昼飯はどうすっぺかねえ?

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町探訪「大塚」

 この2年ほど、自分内評価が急上昇の町。山手線の駅で池袋と巣鴨の間なのだが、池袋より格段にこじんまりとしてて静か。巣鴨は「おばあちゃんの原宿」で高齢者率が高いが、大塚は客層が若い。

 都電荒川線…今は「さくらトラム」と言うんだっけ…がJRと交差していて、JR駅前にクルマが入れない歩行者自転車エリアが確保されているのがいい。

 まずは天祖神社に参拝。神社の周辺が飲食店街になっていて、昼も夜も飲み食いには不自由しない。自分が愛する「昭和喫茶」も数軒ある。池袋や巣鴨は他所からやってくる人間が大半だが、大塚は地元客が大半。その分、商売が保守的で堅実だ。

 自分は都電線路に面した「大塚ホープ軒」を偏愛していて、大塚での飲食の半分以上がカウントされると思う。それじゃあかん、と反省し、他の店にも入るように心がけているが、現在まで「ハズレ」は1軒もない。

 書店が複数軒あるのもポイント高いところ。24時間営業の山下書店。地元密着の大松堂。駅ビルの中の旭屋。ブックオフもある。

 この町で見逃せないのが、千川通りと並行して住宅地内を蛇行している「大塚三業通り」。その名の通り、都内有数の「三業地」すなわち「花街」だった時代を偲ばせるあれこれが散見される。鰻屋だとか割烹だとか。道が蛇行してるのは、暗渠だからで、今は無き谷端川にそって町が形成されていたのだ。

 三業通りの最後は千川通りに合流。ずっと先が「共同印刷」で、プロレタリア文学の名作と言われる「太陽のない街」の舞台だ。これまた暗渠化した「千川」流域の低湿地で貧民窟だったというが、その面影はまったくない。いくら高台の間の川筋だったとしても「太陽のない街」とは、なんとも地元に失礼なタイトルではないか。…と、これは大塚とは無関係。

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スマホキャリア乗り換えの壁

 つい先日のソフトバンクLINEモバイルの乗り換えで、自分が実体験した「不便」をもちゃんと書いておこう。

 まずはキャリアメールが使えなくなったこと。これは事前に分かっていたので、Gmailへ切り替えてもらうよう関係各所に連絡した。嫁さんこどもらは随分前からLINEを使ってて、メールもすべてLINEだった。自分一人が「そんなもん信用できん」とゴネて、やってなかったのが、今回加入して、あれこれ丸く収まった(笑)

 キャリアを通じての取引決済が不可能になったこと。これも分かってはいたのだが、たまたま、スマホ決済詐欺事件と重なって、PayPayと銀行との連携が切られていたので、チャージするにはセブン・イレブン行ってATM経由で現金を入れねば、となった。ちと、めんどくさい。板橋区は現在、PayPayと組んで、地元店20%還元をやっているので、切実。

 キャリアメールを経由しての「本人確認」が不能になったので、これもGmailへの切り替え作業が必要となった。

 以上3点。これはしかし、スマホでしかメールを使ってない情弱(高齢者の大半)にはクリアするのが難しいことだろう。どうアドバイスすればいいかも分からない。

 ちなみに自分はGmailとその他「無料」ウェブメールを複数に、「有料」のメアドも確保している。何年か前に「無料」がダウンして痛い目にあったことがあり、それでインターネット始めた当初のプロバイダで月300円ほど払って別メアドを作った。PCでしか確認できないのが難なのだが。

 政府はキャリア各社に「乗り換え後もキャリアメアドを使えるように」と指導するらしい。実際問題として、どうなるのだろう。情弱がさらに重度の情弱になるしかないのでは、と思ってしまう。だって「難しいことは分からない」まま、さらに難しい状況へ入り込んでいくわけでしょう? ホント、どうなるんでしょうね。

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スマホも回線もフツーに売ってくれよ

 大昔の「黒電話」の時代、回線とキカイは一体化してた。すべては電電公社様が支配していた。インターネット時代の現在、回線とキカイは完全に別個。もしも特定のプロバイダにしか接続できないPCが売られていて、その縛りを外そうとすると「プロバイダ変更料金」が請求されるなんてことがあったら、どうよ? あほかいな、でしょ。

 それを今現在やっているのが、スマホのキャリア各社。スマホスマホ、回線は回線で、それぞれバラバラに売ってくれよ、と思う。それがフツーでしょ?

 その上で競争すればいい。最新型iPhoneとか、人気のキカイは高いお値段で売れるでしょうし、何百ギガでも使い放題の高品質回線に高額の使用量を払う人もいるだろう。そういう需要は確実にあるわけだから。(デイトレやってたら「必須」だろう) で、安く上げたい清貧の若者は、とことん安く使える、と。

 現状は「難しいことはよく分からないから、お店におまかせ」の情弱(高齢者の大半)が、割高な料金を負担していて、テクニカル・リテラシーのある若者が、格安SIM等を使って安上がりに乗り切ってるわけだ。

 前者にとっては「難しいことは分からないが、安くなるなら嬉しい」だろうし、後者にとっては「………(微妙)」だろう。

 自分はかろうじて後者だ(笑) それでいい。デイトレなんざもう絶対に不可能だしね。

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島田裕巳「宗教消滅」

 興味深い事柄がいくつか。ヨーロッパでは教会税払うのが嫌さに十字教徒が減っていて、教会が成り立たなくなり、売られたりしてる。で、最も多いケースが新月教のモスクに転用される例。そして新月教がヨーロッパを席巻しつつある、ということ。

 も一つ、韓国の十字教徒の少なからぬ部分がシャーマニズムと習合している「偽の十字教」だということ。

 著者が指摘する3つのトレンド。

1.先進国の宗教衰退

2.新興国福音派拡大

3.新月教の拡大

 1と2は無問題。問題は3だが、新月教国以外の世界の、新月教徒受け入れと、それと平行しての新月教の穏健化世俗化で「丸く収める」以外に解決は無いように思う。抑圧すれば反抗し、先鋭化するのが理の当然だから。

 先日のフランスでの中学歴史教師斬首殺人テロで、フランスの新月教の指導者たちが弔問し、「共和国と信仰とを両立させる」と宣言したのが、その好例。新月教徒の大多数は「穏健」。それを迫害して「過激派」を育成するのは愚の骨頂。

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宗教消滅 資本主義は宗教と心中する (SB新書)

宗教消滅 資本主義は宗教と心中する (SB新書)

  • 作者:島田 裕巳
  • 発売日: 2016/02/06
  • メディア: 新書
 

 

読書感想文、そして「リア王」

 読書感想文について考える。今も小中から高校までの学校で、生徒に強いているのだろうか? あれって要するに「読んだ証拠を見せろ」ちうことだったよね。ホント、あほくさかった。

 イッキ読みするくらいにはまり込んだ小説や、魂をガクブルさせられるほどの衝撃を与えてくれた本について、読み終えた直後の感想は「おもしろかった」「すばらしかった」以外に何がある? 多少なりとも分析的なことを書けるのは、心が落ち着いた後で、最低でも1週間。数年、数十年かかることすらある。

 そんな「感動」は無しに、即刻サクサク感想が書けるのは、単なる事実の羅列に近いノンフィクションやドキュメンタリー。あるいは理系的な本。だから、こどもらにはそう教授した。

植村直己物語」が典型だったかな。「本編」の他に「まんが版」も読ませて、理解を早くした。で、「植村直己の業績」をリストして、「良かったと思ったこと」3つと「残念だと思ったこと」1つを書かせた。それで一丁上がりだ。

 も一つ思い出した。上の子が中学の何年生だったかな。課題図書が決まってて、その中で自分が読んだことがあるのは「リア王」のみだった。こどもが「パパが読んでどう思った?」と聞くので「年は取りたくないもんだな、と思ったよ」と言ったら、そのまま「年は取りたくないもんだ」と原稿用紙に書き始めやがったので、即刻やめさせた。ホントあほくさー(笑)

リア王」はしかし、晩年の今こそ読み返すべき戯曲なのかもしれん。「馬鹿王」なのは分かってる。なんで「馬鹿」になったのか、とか、一代で王国を築いてしまったから、晩年でしくじったので、建国途中で死ぬか、早めに跡目を譲るかすれば「名君」になれたのかも、とかさ。

 創業途中でくたばるのが理想だろう。自分の背中を見て育った息子(娘でも)に跡目を継がせる。で、三代目で「唐様で売家」となっても自分とは無関係。なまじ王国を完成させてしまい、そこで老いさらばえたのがリア王の悲劇だ。上の娘2人とその婿らは、遺産ぶんどりしか考えていない。で、末娘のコーディリアがフランスからの外患誘致という、禁じ手まで使ったが、敗北し、滅びてしまう、と。

 まあ、そもそもシェイクスピア当時のエゲレスはフランスの植民地の後裔だったんだから、どうでもいいか、ちうことでもあるか。

老害」が国家的悲劇を招き、何の救いもない悲劇的結末を迎えるお話、ということでいいんだよね? 何だ「年は取りたくないもんだ」で正解じゃんよ。

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老いて、最後に残るもの

 ふだんあまり使わないスーパーで買い物をしてレジに並ぶ。と、ここで小事件。自分の前に若い夫婦が嫁さん赤ちゃん抱いて並んでたのだが、さらに前のおばちゃんと「社会的距離」を開けていたところに、横から爺が割り込んだ。

 ここまでは、まあ、分かる。爺、行列に気づかなかったんだろう。夫婦の夫が「すいません、並んでますよ」と注意した。そうしたら、爺は「前が空いてたから」などモゴモゴ言い訳して、そのまま割り込みを続行しやがったのだ。板橋の民度を割り引いても、相当な暴挙である。

 で、若夫婦は「しょうがねえなあ」的に苦笑いして、割り込みを許容した。夫婦の後ろに並んでた自分は「おい、爺! 割り込むんじゃネエよ」と喉まで出かかったのを押し戻した。元ヤン若夫婦が敬老精神を発揮してるところに、後ろからインテリ爺がキレたらシャレにならんでしょ。

 割り込み爺はやたらもたもたしてて、レジで財布を出すのも、10円玉落として拾うのにもえらく時間がかかってた。老耄であちこち心身がバグってるんだろう。それでも、スーパーに買い物に来るだけの「能力」はある。なのに「公徳心」ちうか、単に「ちゃんと行列を作る」という、幼稚園児でもできることが不能になっているのだ。

 人間は年老いて、いろんなものを失っていく。健康を失い、記憶を失い、歩けなくなり、最後は糞小便を垂れ流しながらくたばるのだが、最後まで失いたくないのが「人としての道」だろう。「公徳心」はその重要な1つ。この爺の場合、他のいろんなものに先だって、それを失ってしまったわけだ。

「人の道」を外れた爺は、周囲の人間に疎まれ、嫌われ、嘲笑されながら、くたばるのだろう。そして、三途の川の渡し船の行列にも割り込むってか?(笑)

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